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この話はHONKOWAに掲載されている「ペットの声が聞こえたら」の1月号のはなしです。
(原案)塩田妙玄、(漫画)オノユウリ
私たちは普通、猫と話せませんが心が通じているねと思うことは、よくあります。
しかし、もっと深い気持ちを抱いているのかもしれませんね・・・
今回はそんな猫と飼い主さんのお話です。
私も外出してるときは、猫ウォッチしてます。
たいがい、おとなしく寝ています。マイクで呼びかけるとキョロキョロしてます。もっと呼ぶと窓や玄関方向にいきますよ~
↓塚本無線のみはるねこは映像がとてもきれいです。くらやみでも赤外線でみえます。マイクで声掛けもできます。いろいろと設定があるので、まだ使いこなしていません。(がんばるぞー)
最初の設定がすこし面倒らしいです。 お値段安くて、高品質・日本製です。今は一部屋につけていますが、部屋数つけてもいいかもね。
たまことの出会い
12歳で逝った「たまこ」のご供養に来てくれた菜穂子さんは、たまことの出会いをかたってくれます。
それは保護猫の譲渡会でした。
元気に思想をふりまく他の子たちと違って、たまこは体も小さく
目も鼻も少し汚れていて、ゲージのすみで体をちいさくしていたそうです。
ゲージの紹介では「エイズ陽性慢性鼻炎結膜炎があります」とかかれていました。
誰からも見向きもされずに泣きそうな顔で、小さな体をもっと小さくして
隅っこにいるのが、かわいそうで
その時、前の子を亡くしたばかりで、たまこを抱いてみたのです。
私も保護猫してますが、家族になるまえに、ノミ・ダニ対策して、病気がないか病院にいきますが、かわいそうなくらいの診断でした・・が、そんなに心配はなかったです。
花子は片足麻痺だし、ボンは鼻水垂れ流しです。猫の病気はいろいろありますが、野良なので外にでたがります。
なのでワクチンとノミ・ダニ対策はかかせません。
そして避妊手術をしますが、柏市でも助成金がでます。手続きが時間かかるみたいです。その間の隔離が大変です。
ゆうちゃんは狭いゲージにくらすしかなく、毎日泣き続けて声がかれました。
猫は増えるのがはやいので、外にでるなら避妊手術をした方がいいと思います。
地域ネコという考え方で、去勢手術援助があり外でエサやりをするという流れもあります。
日本ではエサにいれるものの、規制がないので動物病院で、安全なこの商品がいいよと言われて、それをずっと猫たちのご飯にしているせいか、病気になったことがありません。
ひどい交通事故にあって死にかけた子がいますが、そのときお医者さんも見放したのですが、たくましい生命力で復活しました。
天然の子だったので、悲観してストレスにならなかったからでしょうか?「痛い」と感じてないように見えました・・
家ネコといっても「野生」なんですね・・
猫は一緒にくらすと、けっこう表情ゆたかです。
人間なのかと思うほど、複雑な表情をみせるときもあります。
離れていても、呼びかけると反応します。
この子を飼いたいと思うとき、相性はマッチングしています。
男の子はやんちゃ・アクティブ
女の子は比較的静かですね。
にゃん匹もいると、個性の違いはきわだっています。1匹づつ、ブログが書けそうです。
たまこを抱いた・・その時愛しさを感じました。
ぐじゅぐじゅの目と、鼻を垂らした顔で嬉しそうに泣き笑いしたように、みえたのです。
その顔がすごく愛しく見えて、そのまま連れて帰りました。
たまこは家でもおとなしくて控えめでした。
たまこは、とても聞き分けがいい子でした。
いじらしい姿にいつも癒されていました。
ほんとうに可愛くて可愛くてしかたありませんでした。
たまこが6歳になるくらいでしょうか・・
私の仕事がモーレツに忙しくなってきて
かけだしのスタイリストなので仕事を調整できなかったのです。
バタバタと忙しい日々を過ごしていました。遊ぶことも少なくなり
まいかい、後ろ髪をひかれる気持ちででかけていきました。
キャットシッターさんも頼んでいましたし、空調も心配だし
少しでも遊んでもらえると思ったのですが、シッターさんが来ると出てこれなかったようです。
たまに家の人や、友人に頼んでもダメでした。
たまこは私が帰ってくると喜びました。
でも家でも忙しく、なかなか時間がとれませんでした。
「この仕事が終わったら一日中、一緒にいよう。」
「今日帰ったら、遊んで抱っこしよう。」
でも、できない日々の繰り返しでした。
仕事の休憩中にたまこの留守番カメラをみていました。
留守番カメラを見るときに、妙玄さんにカウンセリングで教わったことをしていました。
留守番カメラを見るときに思いを届けましょう。
「留守番カメラのたまこはライブなので、写っているたまこに向かって名前をよんでみてください。」
「実際にさわっているように、なでたり気持ちを伝えてみたり」
教わった通りに、ずっとたまこに思いを届けていたのです。
「あ、本当にそばにいるみたいと思うことがありました。」
「顔をなでると手のひらに顔をおしつける、いつものような仕草をしたり」
「たまちゃんと呼ぶと耳をそばだてたり・・」何か反応があると嬉しくて!
たまこが急に食べなくなりました。
12歳までおおきな病気をしなかったのに・・・
そのころコロナで仕事が激変して自宅待機がふえたのです。
いままでできなかった分、たまこと一緒に過ごそうと思ったとき
だいすきなお刺身とささみも食べられなくて
膝にもよってこないで、部屋の隅にうずくまって・・
病院でも原因がわからず、てさぐりの治療をはじめたころ
急変して逝ってしまった、たまこ
あれだけ・・いつも待たせていたのに私は看病もできなくて・・・
妙玄さんは話を聞いて「・・・それは、つらかったですね。」
「菜穂子さんが、そうしてガムシャラに働いたおかげで、たまこは空調がととのった、おうちがあって」
「体にいいご飯もあって、シッターさんにも来てもらえたのですね。」
でも、もっと一緒にいたかったです・・
もっと抱っこしたり、ゆっくり遊んであげたかった。
ずっと、私を待っていたのに・・
あの子には私だけだったのに・・・
ずっと離れていて心配で・・ずっと「あの子を守らなくちゃ!」て思っていたんですが
あの子を亡くしてから、私の方が守られていたんだと・・わかったのです。
たまこ、いつも待たせてごめんね・・
ずっと一緒にいられなかったけど、あなたと暮らした12年は、私の人生で一番しあわせな時間でした。
妙玄さん~では、ご供養しましょう。
その言葉がたまこに届くように・・・
私がご供養のときに、感じたことをお伝えしていいでしょうか
菜穂子さんがその言葉に違和感があれば、流して聞いてくださいね。
その言葉が腑に落ちたら、それはたまこの言葉だと思います。
譲渡会で初めて会った、たまこはどんな様子でした?
体が小さく、目も鼻も汚れていて一人ぼっちで、誰からも注目されず、小さな体をもっと小さくして隅っこにいたのが、かわいそうで・・
いつも待たせてごめんね!そしてたくさんのありがとう!
ずっと一緒にいられなかったけど、あなたと暮らした12年は、一番うれしくて幸せな日々でした。
たまこの言葉は‥この時はもっと嬉しかった・・
たまこが抱き上げられて、おうちの子にしてもらえた時には
「もっともっと、私はうれしかった!」
「たまちゃんの言葉だと思います。妙玄さん・・たまちゃんは、そういう子でしたから。
それは短い時間だだったからこそ
菜穂子さんが帰ってきたときや、おひざで撫でられているときが、ものすごく~うれしかったって
たまこには、それがスペシャルな出来事だったんですね。
ずっとずっとひとりで長い時間をすごして、どんなに退屈な毎日だっただろうって、ずっと申し訳なく思っていたのに・・うれしいです。
たまこはずっと愛されている思いに包まれていたんです。
いまも?
私たちの思いは、届けたいところに届くんです。目の前にいる子だけでなく・・
だから虹の橋のたまこにも届きますよ。
生前と同じように、ずーっとママから届けられていたように・・今も・・
いまも菜穂子さんのたくさんの思いにつつまれて
たまちゃんは虹の橋で待っていると思いますよ