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これまでにあった生まれ変わりの実話~今までもいろんな国で、研究されていた!

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この話は1999年9月5日に出版された中岡俊哉さんの「本当にあった生まれ変わりの話」の話です。

人間はだれもが死にます。死んだ後に行く世界は、どんな世界なのでしょうか?

考えた人はたくさん、いらっしゃると思います。

もしかして自分で体験した人もいるかもしれませんね~。

今回は「生まれ変わり」の話です。

中岡俊哉さんとは?

1926年11月15日―2001年9月24日です。日本のドキュメタリ―作家、超常現象研究家です。

昭和のオカルトブームのなかで、よくTVにでていました。

超常現象研究家として、没頭した人生だったようです。

有名な話。転生し続けるチベットの指導者

ヒマラヤの山の中にあるチベット。長年にわたって、鎖国政策がとられていました。

謎の國・神秘の國のチベット

そのチベットにはラマ教があり、最大の勢力を持っているのが、ダライ・ラマです。

現在のダライラマ インドに亡命しています。

その肉体が死亡しても、魂は別の人間にうまれかわり、永久に死滅することないと言われてきました。

輪廻転生といえば、チベットのダライ・ラマとパンチョン・ラマが有名で、生まれ変わりをくりかえし、数百年・・生き続けています。

チベットの人は、ダライ・ラマは観世音菩薩の化身であると信じています。

パンチェン・ラマ十世が急死して、その生まれ変わりをさがすことになりました。

いままでは、ラマが死亡した場合、49日以内に、受胎した赤ん坊の中から、転生者が選ばれたことになっています。

これはダライ・ラマも同じことです。

パンチョン・ラマはダライ・ラマの学問の先生であり、密教の修行を支配していて、パンチョン・ラマは高僧をそだてあげ、ゲセ(博士)を育てることをします。

ラマ教の重要な役目をもっています。

しかし、この時の後継者えらびは、大変おおきな政治的、宗教的もんだいがありました。

中国政府の意向もあり、宗教的問題をふくんでいました。

さがしだされた生まれ変わり者を、最終的に決定するうえで、インドに亡命中のダライ・ラマの承認が不可欠になっていました。

いろいろな問題の中、生まれ変わった子供が、間違いなくパンチョン・オルド二の印きざまれたものが、受理されました。

もう一つの輪廻転生―ダライ・ラマ

そのとき「生き仏、13世ダライ・ラマ」の死をとめようとまわりのものは、祈りつづけていました。

祈願の祈りは13日も続きましたが、十三世ダライ・ラマは1933年の朝早く息をひきとりました。

「ダライ様が転生された」と言葉がおわったあと、すべてのチベット人が続々とあつまり、読経の音はそらたかく響き渡っていました。

転生したダライラマを探さなくてはならなくなった・・

調査隊が組織され、30人あまりからなる捜査隊が四方八方へと散って出かけていきました。

最長老会議の議長は、転生者を探し、発見するための重要な命令書と、にせもの・ほんものを見分け、見破る方法をおしえました。

議長は転生者を名のる偽物が、どれだけ現れるかわからないので、とくに注意するように念をおしました。

捜索は困難をきわめ、手掛かりは何もなかったのです。

産まれてまもない聡明な男の子はいないか?産まれて2歳にならない男の子だ

捜索隊はとにかくききこみをしました。

そして転生者らしい子供がみつかったと、知らせが入ったのです。

捜索隊はまず子供の首筋をねんいりに、青あざがあるかないかを見ました。

そのあと、最長老から教えられていた謎の呪文の一部をとなえました。

だが、その子はそれにこたえることができなかった。

また、ある日は生後10ヶ月になる神童が、ある村にいるという知らせがはいりました。

受け答えは申し分なく、質問した人を感心させるほどでした。

そして隠し絵をみせて・・その子供が本当の転生者であるならば、布に隠された絵と文字がみえるはずであったのです。

しかし、その子は隠し絵と文字をよむことはできませんでした。

この子に違いない!!!

捜索隊はまた転生者をさがしてあるきまわった。

探しているうちに、村人から2歳になる男の子がいることが、わかりました。

それは長老議長からの霊示がありました。「おおきな井戸が三つならんでいる村を探せ」

捜索隊はこどもを見たとたん驚き、息をのみました。高貴な雰囲気を持つ、その子は首筋に目印のあざがありました。

つぎに巻物をだし、それを見せると子供は呪文のような巻物の文字をよみあげました。

農家に生まれた2歳のこどもが知ってるものではなかったのです。

そして捜索隊は禅問答のような、言葉あわせをしました。これも、暗号のようなもので、誰にも理解できるようなものでは、ありませんでした。

そして最後のきびしい問題をおこなうことにしました。

子供をつれて山深くにはいり、その子を高い木の上や、崖から突き落としました。

しかし子供は、ひらりと体をかわすだけで、地上に降り立っていました。

さらに村々をまわるとき、死にかけている子供をみつけて

死にかけている子供を助けるようにいいました。

すると子供は死にかけている人にむかい、合掌し経文をとなえ、その子の体をさすりつづけました。

そして死にかけていた子供は死の淵から、戻ることができたのでのです。

そのあとも、子供に対して試しは続きました。

生まれ変わりかもしれない子供は、ラサに戻る途中でも、観たことのない光景の話をしました。

大きな湖があり、緑の紅玉色と金色の屋根がある寺院がありました。

この湖は昔から聖なる湖と呼ばれ、ラマやその他の宗教の修行者が、修行をしていました。

そのあともこの子供がラマとしてみとめられるように、なるために

非常に長い、しかも難解な経典を逆読みしたり、厳しい教育が行われ生き仏として、認められるためには、かなりの時間が必要とされたが

その子はすべての難関を突破し、14世ダライ・ラマの地位についたのでした。

現在、ダライ・ラマは政治的な圧をのがれ、インドに亡命しています。

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