怖い話

怖い話・冝保愛子マリリン・モンローの謎に迫る~ザ・ルーズベルト・ホテル

冝保愛子さんは、1980年代にテレビで稀代の霊能者として、有名になった霊能者です。もうおなくなりになりました。霊能者なのに、霊のみえるところにいくと「すごく怖がっていた・・」なんだか素朴な方でした。

有名になってTVに特集が組まれていた時に、アメリカのアイコン・謎の死をとげたマリリン・モンローについて、霊視していました。マリリン・モンローは1926年ー1962年に生き、母親は精神病を発症し、そのとき、すでに父親はいなくなっていて、里親を転々とする不幸な身の上にうまれながら、モデルからスターレットになり、アメリカのアイコンとして有名な女優になりました。

その不幸な生い立ちゆえか、異常に繊細で情緒不安定な、性質のために独特な魅力を持つ美人ですが、内面は離婚をくりかえし、名声を手に入れた人生でしたが、生きづらいことだったでしょう。そして36歳の謎の死、自殺とも他殺ともいわれています。

マリリン・モンローの幽霊がでるルーズベルトホテル

場所はアメリカ・ハリウッド・ロサンゼルス・グローマンズ・チャイニーズシアター前のルーズベルトホテルだ。2020年10月22日に100年の歴史に幕を閉じたていた。


このホテルにはマリリン・モンローの霊がよく出ていたという。それはマリリン・モンローがよく泊まったといういう948号室、従業員は霊をよく見たという。冝保愛子さんは、カリフォルニア州、公認霊能者ピーター・ジョーンズとマリリン・モンローにあうこととなった。

マリリン・モンローの霊がでるという鏡の前で冝保愛子さんは「すごく感じる」と言う。鏡にうつる自分をみながら、マリリン・モンローが髪を直しているのがみえるの・・・同じ鏡でおおみそかに鏡を磨いていた時、従業員の女性がブロンドの女性が鏡にあらわれたのを見た。それは若いころの綺麗なマリリンモンローだったの・・

冝保愛子はこの鏡は「マリリン・モンローがよく髪の毛を直していたのよ。」という。ピーター・ジョーンズはホテルの依頼でホテルの霊とも遭遇するので、マリリンモンローの霊ともよく会うそうです。とくに948号は従業員も霊体験をよくしました。

その部屋に近ずくとシャワーの音がする。マリリンモンローがシャワーを浴びている。もっとちかづくと、音は止まると冝保愛子さんは説明する。そのあとラウンジで話した時に、彼女は自殺ですか?という問いに、ピーター・ジョーンズが口を開く。「彼女は自殺ではない。ロバート・ケネディに殺された。」と話す。


 

これは重要なことだ…彼女は自殺ではない・・殺された。彼女はそれをみんなに伝えようとしている!

これはとても意外なことだった。冝保さんもそれに同意する。それはなぜかという疑問にもどる・・・一番わかりやすいアンソニー・サマーズの「ゴッテス・女神マリリン・モンロー」にも記述がある。

この当時、何で死んだかは、誰も口にできなかった。アンソニー・サマーズもハッキリと言えなかったのではないかと思う。8月5日の午前3時半、精神分析医のグリーソン博士に、マリリン邸の家政婦から電話がかかってきた。急いで駆け付けたグリーソン博士は、マリリンの部屋に鍵がかかっているために、ガラスを割って部屋にはいる。

その時のマリリンは「ベッドにうつぶせになって両肩の下まで裸だった。右手に受話器をしっかりと握っている。内科医のエンゲルバーグ博士から、午前4時25分にロサンゼルス中央警察署に通報があった。当直のジャック・クレモンズ巡査部長がかけつけた。家政婦のユーニス・マレーが出てきて迎え、案内された部屋にはふたりのドクターがいた。

ベッドサイドにはいろいろなものが散乱していたが・・・荒らされた形跡はない。グリーソン博士はころがっている1本の空きびんを指さした。それは睡眠薬の「ネンビュタール」だった。ミセスマレーはすでにキッチンをかたずけ、選択まですませていた。クレモンズは言う「釈然としないのだよ。ここには何か引っかかるものがあるような気がした・・・」

この事件の最高責任者は警察本部長のウィリアム・パーカーだった。真相解明にかけた情熱は凄まじいものがあったという。高潔な人物だった。しばらくたって夫人が「マリリンの事件はどうなったの?」と聞くと、パーカーらしくない曖昧な態度をするばかりだった。そして空中に大きく「クェッションマーク」を描いた。

結果として警察にも、解剖にも圧がかかり調べなおそうとしても、証拠さえ消えていった・・この後ケネディ大統領も暗殺され、後を追ってロバートケネディも暗殺された。メディアが騒ぎ、「自殺なのか、他殺なのかの?」を探ろうとしていたが、マリリン・モンローの事件はうまく隠蔽されてしまった。

最初の夫・ジム・ドガティを霊視する冝保愛子さん

最初の夫、ジム・ドガティとは近所の知り合いだった。結婚しないと孤児院にもどるしかなかった。1942年に結婚したが後年マリリン・モンローは不幸な結婚だったといっていたが、テーンエイジャーの主婦はまるで主婦失格だったらしい。

結婚して1年がたったころドガティが海軍基地に配属されることになった。ロサンジェルスから海を挟んで目のまえにあるセントカタリナ島だった。

スタジオで、ジム・ドガティと会話をする冝保愛子さん

(ジム・ドガティ)あの頃の映像を見て大変懐かしい・・幸せでした。USA TODAYと言う雑誌の表紙にのった18歳くらいの、あどけないマリリンの写真をみせる。

(冝保愛子)ノーマ・ジーンはあなたに長生きをしてほしいといっています。ノーマ・ジーンはビーズがとても好きでした。ビーズで作ったバッグや箱などが凄く好きでした。あなたがノーマ・ジーンにハンドバックをプレゼントしたことがあって、それはビーズのハンドバックでした。それは白で、チェーンの持つところがついていました。

(ジム・ドガティ)イエス・イエス

(冝保愛子)彼女はそれをもって、飛び跳ねるように、「うれしい!わあ、うれしい!」よろこんだでしょう。彼女は家庭生活は、夫はいつも一緒にいてくれるものだと思っていたので、そのころの彼女は、ひとりで家に置いておかれるということが、とてもさびしかったのです。とてもいやだと言っていました。

(ジム・ドガティ)そのとうりです。そのとうりです。

(冝保愛子)主婦としては、あまり上手くないでしょうか?

(ジム・ドガティ)まあ、これから上手になろうとしていたようです。ただ家はいつもきれいにしていました。完璧主義でした。本を見て料理をつくり材料がぜんぶそろわないと気が済まないようでした。

(冝保愛子)そして彼は昔、ダンスが上手だったそうです。そしてノーマ・ジーンが言うには、よく思い出してほしいのだけど・・結婚してからのほうがダンスに連れっててくれないと、行っています。

(ジム・ドガティ)思い出しながら、彼女を連れていくとダンスホールの男性といつも喧嘩しなければいけなかったから、それが問題だったから。。という。カタリアのダンスホールに行っておおくのセーラーがいて、結局わたしは1回しか、彼女と踊れませんでした。

(冝保愛子)結婚するまでは、よく踊りに言ったわね‥思い出してほしい・・と彼女がいっています。

ジム・ドガティは終始穏やかな優しい顔をしてはなしていました。夜中に悪夢を見て外に飛び出していったこと、道で雨に濡れた牛をかわいそうと、家にいれたこと。ノーマ・ジーンでいて、ジム・ドガティと別れることがなければ、もしかして幸せにくらしていたかもしれませんね。

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