怖い話

怖い話・京都の霊能者・皆本幹夫さん~幼いころ、たくさんの死霊をみた。

霊能者という人々は死霊をみる。妖怪というものを見る子供もいる。意図的におどかすことはなく、幼いころから不思議な体験をしているので、本人にとっては、慣れているのでしょう。けれど、体験の初めは自分だけの体験とおもわず、身近の人に言って気味悪がられる。

そして、自分の気力が高い二十歳ころ、異常なくらい霊を見る人もいるらしい。人のみえない、気持ち悪いいでたちの霊に襲われると思うことは、大変な恐怖でしょう。

皆本幹夫さんは言う、霊感ということならば人によって強い、弱いがあってもだれでも持っていると思う。何か予感をかんじたり、胸騒ぎを覚えたり夢にみて、予感があたったりすることは、誰でもあるでしょう。

自身が霊を感じたのは4歳のころだったが、もっと成長するまでは、霊幽界のことはわからなかった。皆本幹夫さんが幼いころ、太平洋戦争が始まって、すぐだったそうです。近くに氏神神社があって、戦争に言った夫を思って母と一緒に、お参りしていたのでした。

その途中に踏切ががありました。ここにくると母はおびえたように、私の手をにぎりしめ、体を震わせて「ナンマンダブツ」と言って踏切を渡るのでした。幼くて母の行動の意味がわからず、聞いても答えてくれなかった。でも、なんとなくわかっていた。

この踏切は事故が多く、たくさんの人が死んでいる。じつは私は母とちがって、この踏切をわたるのが楽しみのひとつだった。通れば毎日なにかがみえるのだ。

列車の車輪に生首を付けたまま走っているとか、ザンバラ髪の女の顔がレールのうえに、ひょこんと乗っているとか。線路わきにゴザをひき男女二人が青白い顔で、きっと最後の食事だろうをたべていたり。おそらく列車に轢かれた人が、膝の下からちぎれた足をもって、必死でくっつけようとしてるとか。

これらを見ても不思議とこわくなかった。どいうわけか、ここでは霊視ができたのだ。そんな夜、知り合いの霊を見て母に知らせた。フィリピン戦線に行っていた「山川のおじさん」だった。おじさんは元気なさそうに、「帰りましたと敬礼しているよ」と言うと、一瞬ギョッとして「えっ!?」と言ったまま踏切のところで、へたりこんでしまった。両親の媒酌で結婚し、花嫁を残したまま、戦争にいった、山川のおじさんだった。

この時、もう一つの霊をみた。それは1歳6ヶ月で死んだ兄だった。以後、私が母をからかったりするときに、かならず兄の霊を感じた。今思えば兄の霊は「弟や妹ばかり可愛がられてという思い」があったのだろう。その母も早くになくなった。まさか、兄の霊が母の寿命を短くしたのではないかと考えたが、そうなら、からかったりしたのは自分だから、親不孝の片棒をかついだわけだ。

それからしばらく後、母と兄の霊にあったことがある。兄は終始うなるばかりで一言もかたらなかっが、母は私に、兄の魂鎮めと自分の魂浄めを願った。私は自分の守護霊にに頼み、二人にどうしてやればいいのか指示してもらった。

以来、二人の霊にはあっていない。指示された供養だけをさせてもらっている。

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